2024.04.22 07:01Tips - Onsen mannersThere are several manners in Japanese hot springs. They are not difficult, but they can be confusing because there is no opportunity to lear...
2020.09.24 05:17【コラム】湯屋と呼ばれて20202001年に「千と千尋の神隠し」が公開されて20年目となりました。先日(2020年9月18日)に、スタジオジブリ公式サイトにて、映画の場面写真の提供(使用許可)が発表され、それを使用して九代目が長文のブログ記事を書いています。(金具屋サイト内で使用するのはNGだろうという判断で、...
2019.03.18 09:27鎌倉風呂について<詳しく>現在金具屋にあるお風呂の中で一番古くからあった名前のお風呂が「鎌倉風呂」です。登録文化財になっている木造4階建「斉月楼」や「大広間」と同じ昭和11年に完成しました。しかし、建物の柱が痛んでしまったということで、昭和52年に解体され、同じ名前の新・鎌倉風呂をコンクリートで再建してい...
2018.07.23 07:06浪漫風呂について<詳しく>金具屋で一番特徴的なお風呂として取り上げられることが多い「浪漫風呂」「円形」の温泉浴場というのは珍しいかもしれませんが、この浪漫風呂、もともと「ローマ風呂」として昭和25年に造られたものだったのです。
2017.07.25 03:03【コラム】湯屋と呼ばれて20172001年にスタジオジブリの「千と千尋の神隠し」が公開されて以降、金具屋の建物がそのモデルではないか?という問い合わせをたくさんいただきます。この記事を書いている2017年になってもなおそのような話題は多く、あらためて千と千尋のすごさを感じています。事実だけ申し上げますと、千と千...
2017.04.30 00:53料理スタイルについて金具屋のお食事は「宴会会席」とよばれる様式をとっております。「会席料理」は、宴会の酒の肴として料理が並べられるものです。「懐石」と音が同じ為混同されることがありますがまったく異なるものです。汁とご飯が最後に提供されるのはその為です。そして日本の宴会は、自由に席を立ち、お酌にまわり...
2017.03.02 14:26金具屋の歴史その9(平成時代1990-)1990年代に起きた最大のトピックは、渋温泉の石畳と長野冬季オリンピックでした。今は当たり前のように敷かれている渋温泉の通りの石畳は1990-91(平成2年~3年)の2年間かけて工事されたものです。渋温泉全体の工事ともいえる大規模なものとなりました。この時にはいろいろ議論されたの...
2017.02.23 10:53金具屋の歴史その8(昭和後期1970-90頃)高度成長により企業の社員旅行が全盛だった70年代。バスでの団体両行が主流となり、全国各地に巨大旅館が立ち並ぶようになりました。近隣でも施設の大型化が進んでいきました。しかし渋温泉は道が狭くバスが入れません。バスで乗り付けることができる、これは「快適・便利」をモットーにする当時の旅...
2017.02.20 06:30金具屋の歴史その7(昭和40年前後1960-70頃)昭和40年前後、いわゆる高度成長期真っ只中の時代。国民の生活水準もあがっていき、『便利・快適』が求められていきました。金具屋でも昭和41年にエレベーター棟を建設。当館をご利用の方はわかると思いますが、昭和11年に裏山の山腹に建てた大広間まで、このエレベーターができる前までは当然す...
2017.02.19 10:36金具屋の歴史その6(昭和30年前後1950-60頃)戦後から急激な高度成長期へ突入したこの時代、日本人の文化も目まぐるしい変化を遂げていきます。衣・食・住が洋式にかわっていった時代、旅館が求められるものも大きく変わっていきます。はじまりは昭和24年12月に施行された「政府登録国際旅館制度」。今後の国際的な観光に向けて外国からの旅行...
2017.02.18 07:49金具屋の歴史その5(昭和20年前後1940-50頃)昭和11年、すべてをかけて建築した木造4階建斉月楼、大広間、鎌倉風呂。大変な話題となり、高官の指定旅館になるなど順調な営業が続くかと思われましたが、昭和16年太平洋戦争が開戦し、徐々に戦況が苦しくなるにつれ経済も低下。一般市民が遊びの旅行に出るという時代ではなくなっていきました。...
2017.02.17 04:04金具屋の歴史その4(昭和10年前後1930-40頃)当地一番の観光旅館を目指す―計画されたのは渋温泉に聳え立つ木造4階建の豪華な客室楼閣、300名が一堂に会せる巨大な宴会場、名物となるような凝った木造浴堂でした。この工事の棟梁を任せたのが、小布施の宮大工、三田清助(さんたせいすけ)。彼は若いながらも木信地方の名匠と呼ばれ、さまざま...