金具屋の歴史その7(昭和40年前後1960-70頃)
昭和40年前後、いわゆる高度成長期真っ只中の時代。国民の生活水準もあがっていき、『便利・快適』が求められていきました。
金具屋でも昭和41年にエレベーター棟を建設。当館をご利用の方はわかると思いますが、昭和11年に裏山の山腹に建てた大広間まで、このエレベーターができる前までは当然すべて階段でした。130段以上もあり宴会をするのも容易ではありません。『心臓破りの階段』と言われていたそうですが、八代目が子供の頃は、その宴会場までごはんのおひつを運ぶのが小遣い稼ぎであったそうです。
そのエレベーターが完成したおしらせのハガキが残っています。
”青空に親子”という衝撃のデザインですが、まさにそのようなイメージだったのでしょう。
さてその浮かぶ親子の下に、ピンク色の文字で書かれている文章。ちょっと小さくて見づらいので書き写しますと…
「B1 金具屋プラザ ゴーゴーのリズムにあふれ、可愛らしいバニーガールで楽しい雰囲気をいやがうえにも高めます。ここは階上とは違った紳士の社交場です」
とあります。そのプラザのチラシが右のもの。
「渋温泉<金具屋ホテル>にシャレたセンスのナイトスポット誕生」とあります。
このわずか30年前は、金具屋の玄関前で高田から流しの三味線弾きが来て皆で聞いて楽しむという光景があったとは思えぬ内容です。まさに日本の高度成長を表したものです。
(※念の為申し上げますが、現在はプラザはありませんしバニーガールもおりません)
しかし40年代中ほどから、団体旅行が鉄道からバス旅行に変わりはじめます。すると今まで鉄道でいけなかった温泉場がこぞって名乗りを上げ始めます。より「新しいもの、便利なもの、快適なもの」への追求から、各地で古い木造旅館が取り壊され、収容力の大きい、便利で快適なホテル旅館が乱造されました。そして道が狭くバスも入れない、土地がなくて立て直すこともできない渋温泉は、時代から取り残されていくことになっていったのです。
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