鎌倉風呂について<詳しく>

現在金具屋にあるお風呂の中で一番古くからあった名前のお風呂が「鎌倉風呂」です。

登録文化財になっている木造4階建「斉月楼」や「大広間」と同じ昭和11年に完成しました。しかし、建物の柱が痛んでしまったということで、昭和52年に解体され、同じ名前の新・鎌倉風呂をコンクリートで再建しています。

瓢箪型の浴槽が特徴的。こちらのお湯は、共同引湯で地獄谷の荒井河原比良の湯と渋温泉温泉寺寺湯の混合泉。白い湯花が湧くお湯です。

さて、鎌倉風呂はなぜ「鎌倉風呂」という名前なのか。

これは源頼朝が渋温泉を通ったという逸話によるものです。

源頼朝が奥州から鎌倉へ戻る際、持っていた病気を治すため草津温泉に寄り、そこから善光寺へ向かったという史実があります。草津温泉から善光寺へは当時は渋温泉の中を通る街道を使わなければならない為、「間違いなく源頼朝は渋温泉を通った」というわけです。

お隣の中野市には源頼朝の伝説が残っているのですが、渋温泉には残念ながら残っていません。その源頼朝伝説にちなんで、鎌倉時代の建築様式を模した「鎌倉風呂」を作ったというわけです。


<初代鎌倉風呂>

初代鎌倉風呂は斉月楼や大広間と同じ、小布施の宮大工三田清助が棟梁となり建設したものです。完成当時の木造の鎌倉風呂と今のものとの違いは、まず柱が浴槽内にあること。浴槽も瓢箪型ですが今のよりくびれの少ない形状。湯口は反対側になっています。そしてなによりも面白いのが、風呂の建物の壁の土台部分が「透明」になっていて、池に泳ぐ鯉や金魚の様子が見られる、というものなのです(写真のモデルの視線が左に向いているのはそのためです)。

アートアクアリウムもびっくりななんとも斬新なデザインです。昔金具屋に来られた方で覚えている方も多いのでやはりかなり印象的だったのでしょう。しかしよく考えると外側から風呂が透けているわけで、今ではちょっと抵抗がありますね。(当然目隠しはありました)

もうひとつ、今のものと違うのは、現在の鎌倉風呂の入り口に貸切風呂がありました。御殿の湯。中の様子は写真が残っていないのですが、鎌倉風呂へは脇の太鼓橋を渡って行くというこれも面白いギミックです。初代鎌倉風呂は昭和52年に解体、再建し現在のものとなります。この貸切風呂もその際に廃止されました。


再建にあたって、全体的な構造も見直されました。そのときにこけら葺きだった屋根を瓦葺にしています。平成27年(2015)にすべて葺き替えをしています。善光寺大勧進本堂の屋根工事を担当した小笠原瓦店さんにお願いをしました。屋根の形状がカーブを描いており、瓦を一枚ずつ削らねばならず、完成に1か月半ほどかかりました。通りからは見えづらいのですが、家紋をほどこした鬼瓦や継ぎ目が消えるようにつくられた縁の部分など、ぜひご注目いただければと思います。

鎌倉風呂は完成当初から、斉月楼の脇を支えるように配置されています。

建て替えた為おしくも文化財にはなっておりませんが、斉月楼ともども、これからもよろしくお願いいたします。

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