2017.03.02 14:26金具屋の歴史その9(平成時代1990-)1990年代に起きた最大のトピックは、渋温泉の石畳と長野冬季オリンピックでした。今は当たり前のように敷かれている渋温泉の通りの石畳は1990-91(平成2年~3年)の2年間かけて工事されたものです。渋温泉全体の工事ともいえる大規模なものとなりました。この時にはいろいろ議論されたの...
2017.02.23 10:53金具屋の歴史その8(昭和後期1970-90頃)高度成長により企業の社員旅行が全盛だった70年代。バスでの団体両行が主流となり、全国各地に巨大旅館が立ち並ぶようになりました。近隣でも施設の大型化が進んでいきました。しかし渋温泉は道が狭くバスが入れません。バスで乗り付けることができる、これは「快適・便利」をモットーにする当時の旅...
2017.02.20 06:30金具屋の歴史その7(昭和40年前後1960-70頃)昭和40年前後、いわゆる高度成長期真っ只中の時代。国民の生活水準もあがっていき、『便利・快適』が求められていきました。金具屋でも昭和41年にエレベーター棟を建設。当館をご利用の方はわかると思いますが、昭和11年に裏山の山腹に建てた大広間まで、このエレベーターができる前までは当然す...
2017.02.19 10:36金具屋の歴史その6(昭和30年前後1950-60頃)戦後から急激な高度成長期へ突入したこの時代、日本人の文化も目まぐるしい変化を遂げていきます。衣・食・住が洋式にかわっていった時代、旅館が求められるものも大きく変わっていきます。はじまりは昭和24年12月に施行された「政府登録国際旅館制度」。今後の国際的な観光に向けて外国からの旅行...
2017.02.18 07:49金具屋の歴史その5(昭和20年前後1940-50頃)昭和11年、すべてをかけて建築した木造4階建斉月楼、大広間、鎌倉風呂。大変な話題となり、高官の指定旅館になるなど順調な営業が続くかと思われましたが、昭和16年太平洋戦争が開戦し、徐々に戦況が苦しくなるにつれ経済も低下。一般市民が遊びの旅行に出るという時代ではなくなっていきました。...
2017.02.17 04:04金具屋の歴史その4(昭和10年前後1930-40頃)当地一番の観光旅館を目指す―計画されたのは渋温泉に聳え立つ木造4階建の豪華な客室楼閣、300名が一堂に会せる巨大な宴会場、名物となるような凝った木造浴堂でした。この工事の棟梁を任せたのが、小布施の宮大工、三田清助(さんたせいすけ)。彼は若いながらも木信地方の名匠と呼ばれ、さまざま...
2017.02.15 09:42金具屋の歴史その3(大正~昭和初期1912-30頃)大正時代に大きな動きとなったのが、長野鉄道(現・長野電鉄)の開業です。これにより長野市(善光寺)から当町までの観光ルートが見込めるようになりました。特に国鉄からの乗り入れも可能になると、善光寺参拝の団体旅行がシームレスに町まで来ることができ、大きな強みとなりました。下の画像は大正...
2017.02.14 07:23金具屋の歴史その2(明治時代1868-1912)江戸末期から明治初期の資料によりますと、湯田中や渋温泉は湯治・逗留のみならず歓楽(博奕・女性関係)も盛んであったそうなのですが、まだ観光旅行ということはなかったようです。ただ渋温泉の通りは、群馬県の草津から善光寺への草津道の一部でありましたから、旅籠という要素は古くから持っており...
2017.02.13 06:43金具屋の歴史その1(江戸時代1758-)”温泉宿”金具屋の創業は今から約260年前、宝暦8年(1758年)。温泉宿を始める以前は鍛冶屋(金具師)で、飯山から渋温泉に移住をし商売をしていました。それが宝暦4年、土砂崩れにより裏山「神明山」が崩れ被災。復興中に敷地より温泉が湧き出したため、温泉宿をはじめたとされております。...